幼稚園や保育園、児童館での経験を活かして、ベビーとママの教室を主宰 ~保育士の転職体験

幼稚園や保育園、児童館での経験を活かして、ベビーとママの教室を主宰 ~保育士の転職体験

保育士は転職する方が多いといいますが、どんな体験をしているのでしょうか? 今回お話を伺ったのはよしえさん(2020年現在、53歳)。幼稚園や保育園、児童館などで働いた後、ベビーとママの教室を始めて10年以上。保育士資格、幼稚園教諭二種免許状の国家資格の他、ベビーマッサージなど多くの民間資格もお持ちです。(ライター・松原夏穂)

保育士の母の影響を受けて、保育の道へ

母親が保育士で、園長になり定年まで勤めていたというよしえさん。「母や母の保育園に憧れて、と思われがちですが違うんですよ」と、語り始めました。

時代も影響していたのでしょうが、母親の勤務先はしつけに厳しい保育園。鼓笛隊があり、運動会や発表会に向けての練習は保育士も子どもも大変そうでした。

本番後、子ども達のホッとした表情に対して、保育士と親は涙を流して喜んでいました。それを傍目から見て、子どもながらしっくりこない気持ちでした。

そんな思いが、後に保育への興味関心とつながり、保育専門学校へ進学します。「2年間で保育士と幼稚園教諭二種の両方を取得できるのが、いいなと思いました」

実習先で子ども達の姿に感動

実習先の私立幼稚園は、「子どもの成長に合わせた保育」「自由保育」を行っていました。子ども達の表現の仕方や、様々な個性、それぞれの力に驚く感動の日々でした。
子ども達の生き生きした姿を見て、「ここで仕事をしたい! 」と強く感じました。

幼稚園に交渉するも、その年の募集はなし。諦めきれず、「1年他の園で働くので、来年また声を掛けてください」と交渉。その後欠員が出て、卒業間近に無事就職が決まりました。

実習先の幼稚園に勤務、充実した日々

勤務先の幼稚園は、行事に追われることなく、子ども達の個性を大切にした保育を行っていました。保育といえば、母親の保育園がベースにあったので、「ここで勤務できたことは幸せで、誇りに思っていました」

30年程前は、待遇が良いとは言いにくい職種でしたが、先輩や同期に恵まれ、また他園との研修会で意見交換を頻繁に行うことで、日々学ぶことができました。

そのうち、担任や保育士の力量は、子どもの考える力や協力できる力を、言葉ではなく遊びの中から引き出すことに気づきました。

幼稚園での思い出

幼稚園での思い出をたずねると、「たくさんありますが」と前置きの後で、1つ話されました。

年少クラスでお弁当を一学期間、一度も開けず持ち帰ったRくんと、お友達としゃべらなかったMくん。夏休みの納涼会で金魚すくいをしたときに金魚を見ながら、

Rくん「かわいいね」
Mくん「うん」

と関わり合いを持ったことからお友達になりました。その後Rくんはお弁当を食べるようになり、Mくんはクラスに馴染み、生き生きと遊ぶように。

  • Rくんに、無理やりお弁当を食べさせなかったこと。
  • Mくんに、無理にしゃべらせなかったこと。
  • よしえさんが、たまたま、2人のやりとりを見て、さりげなくお弁当の席を隣にしたこと。

「すべての偶然が良い結果につながって、その後の私の保育にも影響しました。そんなドラマのようなことが一人ひとりにあります」

この幼稚園には4年間勤務し、担任を3回受け持ちました。1年目と2年目で年長のクラス担任を、3年目はフリーの担当、最後に年少クラスを担任した後、結婚。仕事は続けたかったのですが、夫は転勤の多い仕事のため退職を決意しました。

幼稚園退職後も、子どもと関わる仕事で経験を積む

退職を機に、幼稚園以外でも経験を積みたいと、保育園や児童館でそれぞれ1年パートとして働きました。

保育園での経験

パート保育士として保育園に勤務したよしえさんですが、これまでの経験を発揮できないジレンマを感じました。

昼寝の時間、保育士によっては「みんな一緒に寝かせなくては」と、頑張ってしまう人もいます。

家庭での過ごし方や寝る時間、起きる時間がそれぞれバラバラなので、同じ時間に寝ることは重要ではないんですよね。大切なところをわかっていないなぁと感じても、アドバイスはできない立場でした。眠れない子どものことを思うと辛かったです」

給食の食べさせ方にしても、

「さりげなく見本を見せたのですが、『よしえ先生だと食べるのねー。優しいものねー』と分かってもらえず、がっかりしたことが何回かあります」

とはいえ、子ども達の中には「この先生は分かってくれる!」と敏感に察し、掃除をしているところへ「遊んで!」「抱っこして!」など来ることがありました。

「園の中で、私のような担任とは違う立場の大人がいることも、子ども達には良いことなんだと、思いました」

児童館での体験

児童館にもパートで勤めました。小学生までが対象ですが、中学生の男の子が何度か遊びに来ていました。話を聞いていると、

「両親とはあまり話ができない。友達とは遊べない。学校の先生を信頼できない」と悩んでいたようです。

ただ、児童館の先生方は「中学生だからもう来ないでね」といった考えで、よしえさんにも「あまり相手にしないでいいよ」とのアドバイス。

だからといって、中学校に連絡するわけでもなく、放置したままでした。「連携すること」を大切にするかどうかは地域によるのだと驚きました。

「今でも、あの男の子はどうなったか気になります」とポツリ。

子育てサークルを立ち上げた後、子育てに専念

子育てサークルは、よしえさんにまだ子どもがいないときに頼まれました。「勉強になるかな?」との思いで、引き受けました。

「たまに遊びにいく友人宅で近所のお子さんが来ていたのですが、面倒をみていると、気がつくと幼稚園のような状態で遊んでいましたね」

その後、夫の転勤で長年住んでいた東京都から大阪府へ転居。あまりの環境の変化に、幼稚園や保育園での現場で働く気持ちにはなれませんでした。

それでも、自分にできることをやろうと再び、子育てサークルを主宰。募集を掛けると、5組集まりました。「このような活動は、求められているんだな」とうれしくなりました。

長女妊娠中、育児雑誌の広告に「(赤ちゃんの)タッチケア」と聞きなれない単語を目にしました。21年前(1999年)、ベビーマッサージの資格は海外で取得するか、助産師でないと取得できない時代。よしえさんも大変興味がありましたが、出産を控えていたため諦めました。

その3年後には次女を出産。さらに、大阪府から広島県、福島県へと転居が続いたこともあり、しばらくは子育てに専念しました。

「保育園勤めで忙しくしていた母に対する反発心があり、当時は『子育てに専念』にこだわっていたのでしょうね」

次女の小学校入学を機に、ベビーマッサージ教室を立ち上げる

その後は福島県に落ち着き、次女の小学校入学を機に、念願のベビーマッサージの資格を取得。2010年に教室を立ち上げました。

当時、福島県には教室が少なく、認知度も低かったので、1年間必死に経験を積みました。その甲斐あって、保育園の子育て支援などで、取り入れてもらうことができました(現在はコロナ禍で休止中)

軌道に乗った2011年、東日本大震災が起こります。よしえさんも被災しましたが、困っていたり、疲れたりしているママたちに寄り添いたいと、教室を運営していきます。「その想いは、コロナ禍の今と変わりませんよ」

ママとベビーを支援するためのさまざまな資格を取得しスキルアップ。自身の教室だけでなく、県や市からの委託を受け、親子のふれあいの大切さを伝え続けています。

今後の抱負については、

「10年間いろいろありました。落ち込んでもすぐ立ち上がるタイプなので、教室を続けられたんでしょうね。今後は福島県での活動を大切にしながら、全国や世界の親子さんが今以上に笑顔になるお手伝いができたらと思っています。働くママも増えているので、保育士向けの研修もしていきたいです」

といつも前向きなよしえさん。オンラインの教室も開催しているので、福島県以外の方も、受講しています。

転職を考えている保育士へのメッセージ

よしえさんから、保育士へのメッセージがあります。

忙しいと家と園の往復になりがちですが、スキルアップや趣味などを充実させることが大切だと思います。
転職は悪いことではありません。ただ、せっかく取得した資格です。就職する際には「小さいお子さんのために!」など、理想があったでしょう。
転職の理由が、「大変だから」「自分の時間が欲しい」などであれば、少しだけ留まってみるのも悪くないのでは?
また、

・時間の使い方を工夫する
・自分に合った園に転職する
・支援センターや児童館といった仕事にも目を向けてみる。

という切り替えも必要です。
保育士だからこそできる仕事はたくさんあることを、知ってもらえたらと思います。

パワフルさの中に、子どもやママ達に対する優しい思いが溢れているよしえさん。貴重なお話ありがとうございました。

現在、福島県郡山市を中心に、チャイルドヨガプレイスクール天使の輪 pocapocaを運営。オンラインクラスもあります。