アメリカ・日本での保育士体験を経て、リトミック講師へ~保育士の転職体験

アメリカ・日本での保育士体験を経て、リトミック講師へ~保育士の転職体験

保育士は転職する人が多いと言いますが、どんな体験をしているのでしょうか? 今回お話を伺ったのは麻衣子さん(2020年現在、40代)。短大卒業後、アメリカと日本で保育士を経験。現在は、リトミック教室を主宰しています。保育士資格や幼稚園教諭二種免許状の国家資格の他、リトミックやベビーマッサージなど多くの民間資格もお持ちです。(ライター・松原夏穂)

海外の幼児教育に興味を持って

子どもの頃から、海外の幼児教育番組を見るのが好きだった麻衣子さん。

「幼心に、日本とは全く異なる生活スタイルや、『個』を大切にする教育に興味を持ちました」

それが、海外の幼児教育への関心となり、短期大学の保育学科に進学します。

短大時代には、アメリカに留学して、4人の子どもがいる家庭にホームステイ。身振り手振りで、コミュニケーションを取りました。

また、そこでは大きな出会いが。ホストマザーが幼稚園の先生で、麻衣子さんが保育の勉強をしていることを知ると、「現地の保育園や幼稚園で、ボランティアアシスタントをしてみないか」と誘ってくれました。引き続きその家庭にお世話になれることもあり、「すぐにでも行きたい気持ちでした」と麻衣子さん。

とはいえ、日本の保育園での勤務も経験したかったこと、資金も貯めたかったこともあり、卒業後、日本で数カ月、臨時保育士として働いてから、アメリカに行きました。

アメリカで保育体験

アメリカで保育のボランティアアシスタントに

ボランティアアシスタントとは、幼稚園や保育園で、メイン(担任)の先生のお手伝いをする立場です。

麻衣子さんは、制作や授業の準備の手伝い、スクールバスでの送迎などを行いました。また、日本に興味がある母親たちの要望を受け、放課後に5~7歳児向けの日本語クラスも開きました。

アメリカで働いて良かったこと

「ボランティアなので『働く』というより『勉強させていただいた』のですが」と前置きしつつ、「日本とアメリカの幼児教育の違いを、感じられたことですね」と麻衣子さん。

印象的だったのは、『自分は特別(I am special.)』という考え方です。日本のような『みんな一緒』の感覚はなかったです。だから、保育の中でも子ども達が自分の意見を発言する機会が多かったです。
1クラス15~20人でしたが、始まりの会と終わりの会以外は『コーナー活動』※で、『science』『art』『math』…など、少人数に分かれて活動していました。
食事に関しては、保育園も親もあまり関心がないというか。ピーナツバターのサンドイッチと、ビニール袋に入れた生野菜だけなど。日本は熱心だなと思いました。
ホームステイをしたので、アメリカの家庭生活も体験できました。ホストファミリーやその周囲の方々が日本に大変興味があり、手遊びや紙芝居、パネルシアターなどを喜んでもらえました。私はピアノが弾けたので、一緒に音楽を楽しむこともできました。
※ 最近日本でも取り入れられている、モンテッソーリ教育のようなもの。

アメリカで働いて大変だったこと

当初は英語能力が不十分で、特に子どもは泣くと何を言っているか分からないこともあり、言葉の壁を感じました。また、現場での保育経験が少ないため、「臨機応変」に対応することが難しかったそうです。

さらに、ボランティアであるため、責任のある仕事は任せてもらえず。日本の保育資格だけでは、現地の幼稚園や保育園で勤務するのはできませんでした(アメリカは就労ビザの取得条件が厳しい)

このままの状態では、アメリカで就労するのは難しいので、一度日本でしっかり現場経験を積もうと思い、3カ月滞在して帰国を決めました。

※ 当時(1990年代)と現在のアメリカの状況は異なります。アメリカで保育の仕事をされたい方は、ご自身で最新の情報を調べてください。また、麻衣子さんはホームステイ先が身元を保証してくれたことで、ボランティアが可能でした。特殊なケースであることを、ご了承ください。

帰国して、保育の経験を積む

帰国後は、日本の幼稚園や保育園で勤務。幼稚園では、3歳児の担任になり1人で20人を見ましたが、お友達と共に成長できる集団保育の良さも経験しました。

幼稚園で1年勤務した後、保育園へ転職。家庭的な雰囲気を大事にする園長の下、働くママたちの心のサポートまで全力で取り組んでいる保育園の姿勢に感銘を受けました。ここで4年勤めました。

日本の保育現場で5年働き、キャリアアップを考えていた麻衣子さん。次に目指すのは、外国籍の子ども達の保育でした。

インターナショナルスクールに勤務

実は、帰国後2年目でアメリカの保育現場で使われているカリキュラムの資格を取得していました。ちなみに試験の論文は、英語です。

その後、自身が結婚したタイミングで、東京都港区のインターナショナルスクールの求人募集を見つけた、保育園を退職して新たな道へ進みます。

念願の、インターナショナルスクールに就職した麻衣子さん。1~5歳児を担当しました。

「港区という場所柄、日本にいながら日本人が少なく、世界中から子どもたちが集まっていたので、教育法や子育ても多様でとても楽しかったです」と、懐かしそうに話されます。

妊娠・出産を経て、産後4か月で復職。長女は2歳までは日本の保育園へ。2歳以降は長女も同じインターナショナルスクールへ。クラスは異なりますが、子連れ出勤でした。

長女は、最初英語は全くしゃべれず。他の子たちもいろんな国から来ていて、それぞれ言葉は通じません。それでもおままごとや、鬼ごっこをして楽しく遊んでいたので、小さい子ども同士の遊びに壁はないことも勉強になりました。
クラスは日本人が長女1人で、フランスや中国、韓国、アルゼンチン、イギリスなど出身の子ども達。おかげでいろいろな国のママ友もできました。

ここで、日本語でリトミックを教えたことが、転機となります。

元々、ピアノが弾けて音楽好きの麻衣子さん。音楽の良さは以前から感じてはいましたが。「音楽は、言葉や文化が違っても誰でも楽しめて、いろんな表現を引き出すことができるんだなと」思いました。そのうち「音楽」で子ども達の成長を応援していきたいと思うようになり、本格的にリトミックの勉強を始めました。長女はまだ小さかったので、実家に預けて月1回の講座を受けていたそうです。

リトミック教室を立ち上げる

2007年、インターナショナルスクールの勤務の傍ら、親子リトミックサークルを立ち上げました。教室を知ってもらうためのホームページやブログなどをゼロから作ったのは大変でしたが、少しずつ人数が増え、気が付けば100名に。これを機に退職して、リトミックに専念することに。その際、これまでの大人数で楽しく賑やかなクラスだけでなく、少人数で1人ひとりとじっくり関われるクラスも増設。

リトミっこのサイト

順調に教室を運営してきた2020年、コロナ禍で教室の運営が一時困難になりました。「子ども達が安心安全にリトミックを楽しめる方法はないかな?」と考え、オンラインレッスンを始めました。緊急事態宣言解除後は、最新の注意を払い、対面での教室も再開していますが、「感染が心配」「ママが妊娠中や産後で外出が大変」などの家庭に向けて、オンラインレッスンも並行して行っています。

麻衣子さんに今後の抱負について伺うと、「保育・幼児教育の経験を活かし、お子さんだけでなく保護者の方にも寄り添った『0歳から子育ても応援する、アットホームで楽しい音楽教室』を作っていきたいです」とのことでした。

転職を考えている保育士へのメッセージ

麻衣子さんは、転職を考えている保育士に以下のようなメッセージを送ってくれました。

保育・幼児教育は、経験を積むほど面白い仕事だと思います。
転職は自分が成長できるチャンスと意識し、保育園や幼稚園を選ぶ際は、条件よりまずは自分がこの環境で働きたいなと思う直感を大切にして下さい。

コロナ禍の2020年、海外にも目を向けてみましょうとは簡単には言えません。ただ、インターナショナルスクールや、外国籍の子どもが多く通う日本の保育園もあります。海外の保育士資格も日本国内で、もしくはオンラインでも可能な時代です。
興味があれば、今できる形でキャリアアップを考えてみてはいかがでしょうか。

※麻衣子さんは、現在、東京都大田区を中心に、リトミック教室「ドレミのおへや」と、リトミックサークル「リトミっこ」を運営。オンラインクラスもあります。