東日本大震災から10年、災害から子どもを守る避難・防災の知恵

東日本大震災から10年、災害から子どもを守る避難・防災の知恵

2021年は、東日本大震災から10年。子どもを災害から守るにはどうしたら良いか、過去の経験から見ていきましょう。(ライター・松原夏穂)

昔の記録から見る、災害と日本人

大昔から、災害が多かった日本。古い記録などから、どんな災害が起こり、どのように対処したかを知ることができます。

磯田道史『天災から日本史を読みなおす』(中央公論新社、2014年)の中から、子どもが災害に関わった例を紹介します。

夫婦でどちらの子どもを連れて行くか、事前に話し合い

江戸時代末期の1854年6月15日、伊賀国(現在の三重県)で起こった地震。この数日前から度々揺れがありました。ある学者はそれを不安に思い、妻と取り決めをしました。それは、

・非常時は、夫が9歳の兄を、妻が3歳の弟を抱いて逃げる

ということでした。

そして夜中に大きな揺れが起こりました。相談の通り、夫と妻はそれぞれ息子を抱きかかえて、家を飛び出します。その後、寝室の壁は崩れてしまい、間一髪逃げることができました。

お昼寝の際に、保育士がどの子どもを抱きかかえるか決めている保育園もあるそうですが、家庭でも子どもが2人以上いる場合は、夫婦で相談しておきたいものです。

赤ちゃんを抱いて逃げた悲劇

終戦の翌年、1946(昭和21)年12月21日に起こった、昭和南海地震。この地震では津波が起こりました。人々は高台を目指し、次々と寺院への石段を登りました。そこへ、津波が石段までやってきました。

その時、慌てて石段を登る母親の手から、赤ちゃんがすり抜けて落ちてしまい、それを助けに行こうとした母親も黒い津波に飲み込まれてしまいました。

もし、おんぶ紐(現在は、だっこ紐)を使っていたら、悲劇は防げたかもしれません。乳幼児のいる家庭では、毎晩枕元に抱っこ紐を置く習慣をつけてほしいです。

地震で被災したらどうするか
災害のときに同行動するかを決めておこう

東日本大震災の体験談

ここで、実際に被災された方の体験を聞いてみましょう。

保育士の転職体験シリーズでお話を伺った、ベビーとママのための教室を主宰されている、よしえさん。(参考:ベビーとママの教室を主宰 ~保育士の転職体験

福島県郡山市で暮らしており、東日本大震災を体験しました。当時、長女と次女は小学生でした。

2011年3月11日震災が起きた時刻に、よしえさんは長女と自宅に、次女は公園にいました。揺れがおさまると同時に、長女を連れて公園へ。公園に着くまでの道のり20~30mだけで、崩れ落ちているものの多さに驚いたそうです。

公園に着いたものの次女はおらず、一瞬不安になりましたが、「隣の小学校に避難したはず」と自分に言い聞かせて小学校へ。

幸い次女は友だちと一緒に無事、避難していました。他にも子ども達がいましたが、ママ友達とメールで連絡を取り合い、全員親元に帰ることができました。

よしえさんの自宅は、当時耐震性のある家を新築したばかりでした。

「電子レンジは床に落ちて、ピアノが60㎝ほど動いていました。外の小屋にいた飼い犬も震えて鳴いており、ケージに入れてリビングへ連れてきました。揺れの強さを改めて感じました」

とはいえ、それ以外に大きな被害はありませんでした。

当時夫は単身赴任中。不安な気持ちを抱えつつ、「娘2人と1匹は、私が守る」と決意。幸い、夫は一時帰宅しました。

震災直後には、お風呂とキッチンの水道を出して、水を溜めました。程なく、水道が止まってしまったので、気がついてよかったとのこと。「その後、溜めて置いた水もすぐ使い切り、給水には自転車で何往復もしました」。なるべくたくさんの水を確保しておきたいですね。

この先、いつお風呂に入れるか分からないので、お湯を沸かしてタオルで体を拭きました。洋服は着たまま、首から携帯電話をつけたまま布団に入りました。寝るときは、ベッドのそばに避難袋、自転車ヘルメット、懐中電灯を置きました。

一方で忘れていたのが、自動車のガソリン。震災の前日、給油に行こうと思いつつ、そのままにしてしまっていたのです。15日にママ友がガソリンを分けてくれましたが、それまで大変でした。ガソリンは満タンにしておくべきですね。

震災を機に、よしえさんが備えたものや気を付けたことをまとめました。

  • 自家用車に、ペットボトルや缶詰め、避難グッズ、飼い犬用のドッグフード3日分を備蓄
  • 玄関先の納戸には、水の入ったタンクや懐中電灯、日用品を備蓄
  • 枕元には、子どもの自転車ヘルメットと着替え、貴重品(通帳や眼鏡など)を入れたバッグを置く
  • 食事の際は皿にラップを貼り、洗い物を減らす
  • 停電時に備えて、冷凍庫に保冷剤を保管
  • 断水に備えて、浴室には残り湯を溜める
  • 携帯電話は常に充電する
  • 高い場所に、割れる物を置かない
  • 自家用車のガソリンは、満タンにしておく

そして、大人の不安は子どもにも影響するので、冷静を心掛けました。当時のことを娘に聞くと、「お父さんとお母さんが大丈夫、と言ってくれたから全然心配していなかったよ」とのこと。親が冷静でいれば、子供も冷静になれるんですね。

2021年2月13日、福島県沖地震の体験談

東日本大震災についての取材を行っている最中、2021年2月13日福島県沖地震が発生。筆者は、よしえさんのことが気になりましたが、SNSでご無事を確認できて、胸をなでおろしました。

よしえさんに、そのときのことを語っていただきました。

東日本大震災から、やっと10年。これからもっと良くなると思っていたところに、先日の福島県沖地震がありました。
あまりの揺れの大きさに動けずにいましたが、防災対策をしていたため、家具などは全く倒れませんでした。落ちたものは、対策をしていなかった洗濯機の上の洗剤数本。割れたものは、使っていない部屋にあった砂時計1つでした。
揺れている間は、ここまで大きい余震はもうないと思っていたので、恐怖より「どうして?なんで?」と悔しい気持ちでいっぱいでした。
ただ、そのあとは洗剤を元に戻し、割れた砂時計の片付けをしただけで、すぐに普段通りの生活に戻れました

とのことで、大きな被害はありませんでした。

大きな地震があった場合、それに伴う余震はしばらく続くといいます。次の地震に対する対策をしっかりとしておくべきでしょう。

タンスが倒れ食器が飛び出して割れたというご家庭では、倒れたり割れたりといった音が恐怖心を倍増し、後片付けをしながら、精神的ダメージも受けたと聞きます。
防災対策をしていない方は、いますぐ行動に移してもらえたらと思います。
私がしたことは、滑り止めシートをあらゆるところに敷いたこと。それだけでも大きな効果がありました。

日々の少しの心掛けで、防災対策ができることを改めて感じました。皆様も、是非実践していただければと思います。

よしえさんは、福島県郡山市を中心に、チャイルドヨガプレイスクール天使の輪 pocapocaを運営。オンラインクラスもあります。