本サイトで、コラムを連載されている小阪有花さん。芸能界から保育の道へ進んだ、異色の経歴をお持ちです。保育の道へ進んだきっかけや、今後の展望などをお聞きしました(ライター・松原夏穂)
芸能界を引退、子どもの頃憧れた保育の道へ
2004(平成16)年、19歳でミスマガジン2004のグランプリに選ばれ、芸能界入りした小阪有花さん。バラエティーやドラマなどさまざまな分野で活躍し、2009(平成21)年、23歳で引退しました。
引退後、自分が何をやりたいか模索します。そのとき見た幼稚園の卒園アルバムには、「幼稚園や保育園の先生になりたい」と書かれてあり、保育の道に進む決意をしました。
早速、保育補助として働ける保育園を探して働き始めます。しかし、芸能界で働いていたことを保育の世界ではあまり良く思わない保育士や保護者もいます。そのため転職では苦労し、2年半で3園で働き、しっかり勤務できたのは3園目だけでした。
「でも、仕事は楽しかったですよ」と笑顔で答える有花さん。精神的に落ち込んでいた時期に子ども達と関わることで、自身が癒されていることを感じたそうです。
自分のやりたい保育をするために奔走
「保育補助」では、自分のやりたい保育を行うのは難しい。そう感じた有花さんは、「自分で保育園を作ろう」と決意します。
2014(平成26)年頃、「保育コンサルタント」の職種はまだなく、あちこちに声を掛けても「何の仕事?」と不思議がられていました。それでもあきらめきれずに行動して1年が経った頃、ママのための家作りをしている「ウィズママの家」という企業に出会いました。「ママのための保育園を作る」ということで意見が合い、保育園を作ることが決まりました。
認可外保育園を立ち上げる
2015年(平成27年)、認可外保育園「ウィズママ保育園(現・よつば保育園)」が開園。現場監修の立場で、子ども達とも誠心誠意向き合いました。園長が信頼できる人物だったため、1年を経て安心して園を離れることができました。
こうして保育コンサルタントの道に進みます。
保育コンサルタントとして
2016(平成28)年、企業主導型保育型事業※の開始。この頃から「保育コンサルタント」を名乗る団体が増えていきます。有花さんはその先駆けでしたが、大手保育園運営会社が運営受託などに進出してくる中、個人でやっていくのは大変なことでした。
最初に立ち上げに関わった保育園も、現場に入りましたが、これは珍しいケース。その後にコンサルタントに入った保育園では、1週間に1回定期的に顔を出すのが基本でした。しかし、保育士不足が叫ばれ始めた時期でもあり、保育の質の確保や、離職率を下げて欲しいという要望が出てくる中で、「できる限り、サポートします!」という姿勢は運営母体としては頼もしく、また、有花さんにとっても、子どもや保護者の様子がよく分かるものでした。
それでも現場を熟知する保育コンサルタントとして、高い評価を得るようになります。
※企業主導型保育事業 内閣府が開始した、企業向けの助成制度。企業が従業員の働き方に応じた柔軟な保育サービスを提供するために設置する保育施設や、地域の企業が共同で設置・利用する保育施設に対し、施設の整備費及び運営費の助成を行う。(出所:内閣府 1.企業主導型保育事業の制度の概要と企業のメリット)
新たなステップで、会社を立ち上げる
2020(令和2)年で、保育の世界に関わり10年。これを機に、新たなステップに進むことを決意した小阪有花さん。総合制作会社「cheer lead」を設立します。
保育事業コンサルティングや保育事業向けITソリューション、セカンドキャリアやメンタルマネージメントの観点からの講演・対談・セミナーが業務の柱。最近では企業の企画を支援して、保育園に伝えるイベントも支援しています。
セカンドキャリアだけでなく、パラレルキャリアも大事です。今は、キャリアを一つに絞る時代ではありません
転職やキャリアアップを考えている保育士への、メッセージ
最後に、小阪有花さんに、転職を考えている保育士さんへのメッセージをもらいました。
また、キャリアアップを考える際は、系列園を多く運営している団体がおすすめ。園長や管理職の枠が増えます。
なお、系列園が多いと、「1つの園で問題が生じると他の園もそうでは…」と見られるので、真摯に取り組む傾向が強いようです。結果、福利厚生も良くなることがあります。
保育園選びで迷ったら、保育園まるごとランキング上位の園に絞ってもいいかもしれません。ランキング上位に選ばれる保育園には何かしら理由があるはずです。
苦労も多かったようですが、それが今を生きる糧になっているのですね。保育を、内と外から見てきた有花さん。和やかに話されながらも、的を射た鋭い発言に感心するばかりでした。